「てきとう」なのに、音楽になってる。──0歳児の音から生まれた、たったひとつのコンチェルト

「てきとう」なのに、音楽になってる。──0歳児の音から生まれた、たったひとつのコンチェルト

「0歳の演奏に、オーケストラをつけてみた。」

その一文だけで、目が止まった。
え、演奏?しかも0歳?

冗談のようなタイトルだけど、記事を読んだらわかる。
これはただの「ネタ」じゃない。
音楽そのものへのまなざしが、芯から詰まっていた。

音を「音楽」にしたのは、誰?

主役は、生後7ヶ月の娘さん。
sumimi_musicさんが膝の上に乗せてエレクトーンを触らせたところ、なかなか“いい音”を鳴らしてくれた。

そこで録画・録音し、その音を耳で拾い、楽譜に起こして、
オーケストラを重ねて、映像を編集して──

最終的には1本の演奏動画になった。

「てきとう」が音楽になる瞬間

このプロセスの一番すごいところは、
「ちゃんと“娘の演奏”として成り立たせようとしている」ところだ。

リズムもテンポも、ぜんぶ“原曲”通り。
テンポも拍子も不揃い。
でも、それが逆に、人間らしさや感情の揺れになっている。

たとえば、呼吸のリズム。
たとえば、赤ちゃんが何かに集中して、ふと手を止めるような“間”。

そういうものが、ちゃんと音楽の一部になってる。

「音楽」ってなんだろう?

sumimiさんは気づいていたんだと思う。

「てきとうに鳴らした音」の中に、
“音楽の種”があるってことに。

僕は音楽に詳しいわけじゃないけど、
この記事を読んでから、
むすこが机をトントン叩く音も、
むすめの鼻歌も、
ちょっとだけ違って聴こえるようになった。

一番最後の「ドー♪」が好き

記事の中でsumimiさんが、

「一番最後きれいに『ドー♪』って丁寧に弾いてくれてるのが個人的に好き」

と語っていた。

わかる気がした。

その一音の“収まりのよさ”に、
きっと2人の間にしかわからない感覚があるんだろうな。

同じものは、もう二度とできない

テンポを整えても、編集しても、
演奏そのものは「一度きりの偶然」。

でもその音を拾って、形にしたからこそ、
それは“音楽”になった。

僕は教育に関わる人間だけど、
こんなふうに、子どもの「今この瞬間の力」を信じて形にしてあげられるって、
実はすごく難しいことだと思う。

この記事、ただの親バカ記事じゃない。
ちゃんと、音楽だった。

📖 sumimi_musicさんの記事はこちら

👉 0歳の娘の演奏に、オーケストラをつけてみた話

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